映画の暴力シーンは得意ですか?
実は最近すごく苦手で見たくないなと言う気持ちが強くなってきました。
暴力シーンを描く意味があるのだろうか
。
この小説を読んで描写が映像ではなく文章であることの大切さを感じました。
痛みを想像し、相手の痛みを思い描くこと。
映画や小説の中でこそ、平和な国に住む私たちが想像することはその世界がなくなるために必要なこと。
けれども目を背けるような映像は。
必要ないのではないか。
死が身近にある環境
この小説は沢山の死の描写、暴力の描写がありました。
作者が過去を振り返り、このシーンを思い出し言葉にする作業はどれほど辛かったことか。
死にたくなかった。どれほど苦労してここまで来たのか。死んでいく人、死んだ人たちは数え切れないほど見てきて、死の横で眠ったことがある僕ではないか。誰よりも間近に数多くの死のを目撃したじゃないか。だからこそ生きたかった。
目を閉じることができずに死ぬなんて、どれほど辛かったか。太陽の熱のせいかまだ数分も経ってないのに体が硬くなってきた。
3つの覚悟
物売りが警察に捕まった時、殴り殺される覚悟
寝る場所が見つからない時は凍死する覚悟
食べるものがない時は飢え死にする覚悟
大人でも餓死する時代だった。路上には死体があちこちに転がっていた。
僕たちができる事は子供たちが苦しんで死んでいく姿をただ見守り、冷たくなったり体を埋めてあげることだけだった。
そんな生活の中からも彼は抜け出すことができた
著者がなぜ生き延びれたか。読んでいてもわからなかった。
選ばれた、運命その一言で片付けられない何かがそこにはあった。
新しい生活の中で
結局僕の結論はこうだ。
赤か青のどちらかでならなければならないわけじゃない。腹を満たすことができ、誰にも束縛されない生活ができるのなら何色でも関係ないじゃないか?
悪い人に出会うと人生を学ぶことができるし、良い人に出会うと魂を癒すことができる。
何かを選択できるということだけでも北朝鮮で僕が抱えていた絶望よりはるかにマシだ。
常にチャレンジする機会のある韓国は天国に思います。
彼のメッセージはこの国北朝鮮の子供が世界の子供と肩を並べる日が来ることを願っていた。
私も同じように願いたい。
すべての道は思ったより近くにあり、叩くべきドアを見つけに遠くまで行く必要は無い。物質的なものに執着しなければ、思いのほか近くで自分の道を見つけることができると思う。
北朝鮮に暮らす罪のない子供たちのことを知って、少しでも身近に感じてもらうというのが私の願いだ。日本の子供たち同様、感情や知性を持ち、飢えや暴力の中でもたくましく生き抜く子供たち。彼らは日本の子供たちと友達になる未来が必ず来る。
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