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いたたまれなく、ここに呟きます。

今日は葬儀でした。
連絡が来た時、
「30年会ってないよ。そもそも私は彼女を好きではないから付き合いはしていなかった」

ゆきこちゃんが
葬儀に参列する人がいないのではないかと必死に私に連絡をして来たのはわかった。 彼女は誰とも付き合っていなかったから。

「連休続きで今日は仕事は休めない」
葬儀に行かない理由はいくらでも作れた。

それでも葬儀に参列して来た。

葬儀に行って、行ったらどうだったか。

今まで泣いたことがないくらいの涙が溢れでた。

彼女との出会いは7歳、小学校1年生。
その後小中高と一緒だった。
もっとも親しい間柄になったのは高校生の時、同じ登山部に所属となった時だった。

彼女はどんな人か

私自身が彼女に対して自覚したのは中学生のころだった。

とにかく美人だった。
頭も良かった。
運動もできた。テニスにいたっては県で中学生No. 1だった。

高校に入って彼女の性格をより知ることとなった。
彼女は努力が大嫌いだった。
勉強もすることはなかったが成績は常に良かった。
運動も大嫌いだから運動神経は抜群。
そして何より誰も持っていない美貌を持っていた。

それは誰よりも輝いていて、常に男からそして女から注目を浴びつづけていた。

彼女の持っているものに対し、私はある時から嫉妬するようになった。

きっかけは私の親友とより深く深く結びついて行ったからだ。

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彼らがもしこの世にいなかった。

私は嫉妬を知らないで済んだ。

そして彼女も普通の人生を歩んだのではないだろうかと今思う。

とにかく彼女と私の親友の二人は彼らにのめり込んだ。
それ故に、どんどん自分から離れていく寂しさと孤独に襲われた。

笑ってほしい。
高校生の狭い世界での話だ。
今なら笑える。
あの時は辛かった。誰にもその気持ちを話せなかった。

その後
彼女にいたっては大学も行かないで、ただバンドをするために東京に行った。

私は自分の嫉妬を隠すために彼女との交際から身を引いた。登山部も彼女は最後まで所属しなかった。

高校を卒業して私は大学を2浪してた。
その後時折、どうしてるかは友人伝いに聞いた。

運命は私の予想とは違った。
田舎のスターが、東京では通用しなかった。
彼女は、心身のバランスを崩し、その後引きこもりの人生を歩んでいった。

秋田に戻ったと聞いた。

信じられなかった。
彼女の輝きが消えることになるなんて。

同時期、私も自分の人生を歩んでいた。

友人達も自分たちの人生で精一杯だった。

彼女の話はみんなからも出てこなくなった。

付き合いがなくなったからだった。

共通の友人から彼女が結婚したとか聞いた。
40過ぎてだった。
私は一人で子供を育てていた。
もう、彼女に興味はなかった。

友人から知らせを受けた時、
亡くなった話を聞いた時、
自殺が頭をよぎった。

自殺ではなかった。

風邪のはずが循環器不全で自宅でベットの上で冷たくなって亡くなった。

1週間で5キロ痩せた。

点滴を打っていた。

自宅で休んでいた。

ただそれだけだった。

ご家族は死亡解剖は望まなかった。

今更そんなことをしても仕方がない。

葬儀に行った。
友人と話している時、旦那さんから声をかけられた。
「お花ありがとえございます。」
「薬局をやられている方ですか?
じゅんちゃんから聞いていました。」

淳子の旦那さんは障害者だった。

何も知らなかった。

数多いた。
彼女に言い寄って来た男は。
私が知らない30年間もそうだったはず。

涙が襲った。

涙は出ないと踏んでいた。
ハンカチすら持って行っていなかった。
ぐちゃぐちゃになった。

小学1年生のころ、田んぼのあぜ道を何度も往復して雨のなかずっと一緒に歩いていたあの頃を思い出した。

彼女はわたしの友人だった。

46歳。

若くして旅立った。

安らかに安らかに、道のりが険しいものでないように。

わたしは死ねない。
絶対に死なない。

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この記事を書いた人

あっきー

あっきー

起業独立し、10年になりました。
郷土をこよなく愛する秋田在住30年、親切丁寧薬剤師歴20年のあっきー(佐藤晃子)です。
私生活は双子のシングルマザーとしても頑張ってます。

禁酒歴4年目に突入しました。10kg減量成功歴のあるチャレンジ精神満載です。
日々の奮闘を機械音痴でもブログに書いて3年になりました。(2019年、2月現在500記事)
このブログから何か効き目のあるお薬を出してあげれることができますように。

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