骨髄バンクから連絡が来ました。
オレンジの封筒を見た瞬間、適合の連絡だとわかり、封を切り、記入し、すぐにその紙をポストに入れました。
ドキドキが止まりません。
また、私は神様からお声がかかったと。
初めて登録したのはいつだったか。
確か25歳の時、白血病の映画の影響だったと記憶してます。
その映画のみた勢いで登録したんだと思います。
家に帰り母にそのことを話しました。
「私が出来ないから、そうしてくれて嬉しい」
そんなようなことを言われました。
私の母は身体障碍者でした。
体が不自由でも、医療費がかからずに治療を受け続けることが出来ている。
もうなくなりましたが生涯20回を超える手術を受け、たくさんの方々に助けられました。
いつか、これはどこかで恩返しをしなければならない。
母に言われたわけではありませんが私自身も小さな頃から感じていたことでした。
時は流れ4年前に初めて骨髄バンクから連絡が来ました。
重要なお知らせと書いた封筒に、ただならぬ連絡と感じ、封を切りました。すぐにその中に入っている紙に記入し、ポストへ投かんしました。
あの時も、今も、私にはそこに迷いはありません。
この4年前は子供がまだ1歳にもなっていない双子を私は抱えていました。
そして、私はシングルマザーでした。
それでも、そんなことはたいしたことがなく、なんとかできると思いました。
返信後、よくよく中身をみました。
移植までの流れの確認です。
まず、コーディネーターさんから連絡があって、その後医師との面談があるとのこと。
そこへは家族の同席が求められていました。
すぐに父に骨髄バンクの話をしました。
父も何もいいませんでした。
私と父はすこぶる仲が悪いです。
最悪です。
それでも、この点は揺るぎのない価値観を共有してました。
コーディネーターさんから連絡があり、面談の日が決まりました。
面談では、
一通りの流れ、リスクについて説明がありました。
交通費や休業補償はないこと
何度か今後も病院へいくこと
最終的には弁護士立ち合いのもとサインが必要なこと
すべて家族が立ち合いである必要がありました。
入院し移植し退院に要する期間は平均4日。
県外へはよっぽどじゃないと行く必要がないことは少しほっとしました。
その間、子供をどうしようか考え、ファミリーサポートセンターに相談しました。
乳児を預けれると市役所の方も親身になってくださり、私も状況をすべて説明しました。
知らない命を救うために、みんなで一生懸命考えました。
費用のかからない方法があると担当の方から連絡がありました。
これで子供はなんとかなるかな。
型が当時の検査法より進歩していて、当時の検査方法ではわからなかったことがわかるようになり、再検査をすることになりました。
最終的にはその型があってませんでした。
その後、他のドナーのかたがいらっしゃらないようなら私にお願いしたいということで、待機という状態になりました。
暫くしてから、無事、ドナーの方が決定したと連絡をいただきました。
この連絡を受けた時
残念な気持ちがありました。
誰かの力になれるチャンスだったのにと
その反面、ほっとした自分もいました。
痛い思いをせずに済んだと。
複雑な気持ちを今一度思い出しました。
今度は完璧に私の出番だと思います。
私にしかできないことを、使命でもって全うします。
私は神様に選ばれました。
こんなことが時折自分には起こります。
迷いはありません。
ですが、痛みは想像してしまいます。ですので、ここにこうやって書き記すことで気持ちを落ち着けたいです。
落ち着きました。
読んでくださり、ありがとうございました。^^